かつてIT業界で重大問題になった「循環取引」がまた発生した。ネットワンシステムズや東芝子会社など少なくとも9社が関与した「循環取引」事件である。各社の売上水増し額は合計で1,000億円を超えた。主導したネットワンは3月12日、調査の最終報告書とともに、3度にわたり延期していた決算を発表した。「このたびは納品実態のない取引に関し、株主や投資家をはじめ多くのステークホルダの皆様にご迷惑とご心配をおかけし、大変申し訳ない」――。ネットワンの荒井透社長はアナリストや記者向けの電話会議でこう謝罪した。
発端はネットワンが2019年12月13日に開示したニュースリリースにあった。タイトルは「特別調査委員会設置に関するお知らせ」。東京国税局から税務調査過程で納品の事実が確認できない取引があるとの指摘を受け、外部の弁護士・公認会計士で構成する特別調査委員会を設置するという内容だった。
実は同日、日鉄ソリューションズも同様のニュースリリースを開示していた。しかし両社の発表はほとんど話題にならず、これらを結び付けて捉えていなかった。様相が一変したのは、年が明けてしばらくした1月18日、東芝が子会社の東芝ITサービス(川崎市)で、実在性を確認できない取引が複数年にわたって行われていたと発表してからである。架空取引は2019年4~9月期だけで200億円規模が見込まれ、2019年3月期の同社売上高の半分に達する金額だった。
東芝は「東芝ITサービスの主体的な関与を認定する証拠はこれまでのところ検出されていない」と説明した。ただ、世間やメディアは過去に不正会計で経営危機に陥った東芝がまたしても架空取引を采配した構図を思い至ったと考えられる。
しかし、「東芝主導」との観測は誤りだった。架空取引の黒幕はネットワンで東日本第1事業本部第1営業部営業第1チームのシニアマネージャー(当時)を務めていたF氏。実在案件をベースに、最終顧客を中央省庁とする架空の商流をF氏がでっち上げ、売上・利益を水増ししていたと分かった。F氏は中央省庁の案件を次々と受注し、ネットワン社内だけでなく、他社からも一目置かれる存在だった。F氏が仲介する案件は架空取引に限らず、実在する取引もあった。他社は「力量のある方だと受け止めていた」。こうした信頼を逆手に取り、F氏は架空取引を差配していた。
F氏はIT業界で一般的な「直送」と呼ばれる取引を悪用した。直送とは、物品を最終顧客が指定した場所に仕入先から直接納品する取引形態である。取引を仲介する企業は付加価値を提供せず、手数料を上乗せするだけのケースもある。直送は仲介企業が現物をやり取りしないため入荷や発送の手間を減らせる半面、不正の温床になりやすい。これまでもIT業界で度々問題になっており「悪癖」がまた顔を見せた格好だ。
具体的手口は以下の通りである。F氏はまず実在案件をベースに、追加発注などに見せかけた架空案件Aを作り上げる。注文書を偽造、架空案件Aについて、東芝ITサービスに発注をかける。F氏の指示を受け、東芝ITサービスは日鉄ソリューションズに、日鉄ソリューションズはネットワンに次々と物品を発注し、商流はぐるりと一周する。F氏は再び、架空案件Aの名目を変更して別の架空案件Bにすり替え、偽造した注文書を東芝ITサービスに送る。それ以降は架空案件Aと同じ商流をたどる――。こうした循環を繰り返していた。
不正発覚を防ぐため、F氏は両社の担当者に対して案件詳細を伏せていた。F氏は「サイバーセキュリティーの関係で商流など、どこに何を納めるのかは話せない」といった説明をし、件名を「省庁向け物品等一式」などと曖昧にしていた。F氏は2008年にネットワンに中途入社し、2014年に一般社員から管理職に昇格、2015年2月ごろに架空取引を始め、2019年11月に発覚するまで規模を拡大させながら続けた。ネットワンの特別調査委員会は「全容を把握して架空の商流取引であることを認識していたのはF氏のみであり、F氏が単独で行っていた」と結論付けた。組織的な関与はなかったとの見解だ。
なぜ、F氏は架空取引に手を染めたのか。F氏は特別調査委員会の調べに対し、「(自身が所属していた)第1営業部の存在価値を上げるためだった」と供述している。当時、第1営業部は大規模な赤字を出し、縮小傾向にあった。そこに追い打ちをかけたのが、F氏のチームが手掛けていた某中央省庁の大型案件の失注だった。
劣勢を挽回するには何より結果が必要で「予算の達成が第1営業部の存在価値向上の生命線だったため、不正行為をやめられなかった」と述べた。つまり、F氏は第1営業部という「組織」を守るため不正行為に手を染めた。だが、この供述をうのみにできない事実も明らかになっている。架空取引代金の一部が、F氏の友人が経営する会社に流れていた。その額は実に毎月数千万円に上る。架空取引に関わった別の会社を通じて、アプリケーション開発SEへの教育費という名目で支払っていたという。F氏は「営業第1チームが中央省庁案件を獲得できた場合に、その下請け業務を格安で発注できる業者を用意するため」と供述しているが、それを裏付ける証跡は見つかっていない。
これだけ大がかりな架空取引をF氏だけで回すのは不可能なはずである。F氏の指示を受け、実際に手を動かしていたのがネットワンの営業第1チームの部下たちだった。例えば本来なら仕入先が作成する見積内訳明細を、F氏の部下が代わりにつくっていた。仕入先からは見積書の頭書だけを受け取り、部下が作成しておいた内訳明細を後ろに付けて、仕入先からの見積書として扱っていた。
架空取引の案件が内部監査や監査法人による監査の対象になると、部下が必要な書類を準備した。顧客(受注先)の担当者に依頼し、検収書や納品の事実が確認できるメールの返信などを取得する。F氏は監査法人に対する回答案も部下につくらせた。
ネットワンでは見積金額が基準以上になると、顧客に見積書を出す前に事業本部長決裁が必要だ。上長らに来期の案件見通しなどを説明する場もある。通常は営業担当の一般社員が説明するが、架空取引に関わる案件についてはF氏自らが説明していた。部下らも疑問を抱かなかったわけではない。見積総額があらかじめ決まっていたり、営業担当者が知らない案件が存在していたりしたためだ。しかし、F氏は疑問を抱く部下たちに対して、事実関係を明かさず、叱責するなどして従わせていた。
ある部下に対しては「銀行がお金を回す必要があってこのような取引があり、悪いことをやっているわけではない」と説明した。実際に「案件・取引」があるかのように思わせていた。別の部下には「おまえ疑っているのか」と恫喝、それ以上の質問を受け付けないという対応を取っていた。ネットワン社内だけでなく、取引先もF氏の要請を受け、事実と異なる書類を作成していた。決算説明会でこの点を問われ、東芝ITサービスを傘下に抱える東芝デジタルソリューションズの責任者は「(ネットワンは)一定量の取引がある重要なお客さま。頼まれてついやってしまった」と釈明した。
ネットワンは最終報告書に先立ち2月12日付でF氏を懲戒解雇処分とし、「刑事告訴も検討している」とする。架空取引がネットワンに与える損失は大きい。まず連結決算への影響度合いが無視できない。各年度の連結売上高に占める架空取引影響額は最大4.5%に達する。架空取引が発覚する直前の2019年4~9月期だけを見ると、その割合は5.8%に跳ね上がる。
今後同社の事業にも悪影響を与え、特に官公庁案件の受注に暗雲が垂れ込める。官公庁案件はネットワンの屋台骨を支えている。連結売上高に占める「公共市場」の割合は3割超を占め、業績をけん引してきた。官公庁案件の受注拡大が鈍れば、2022年3月期に売上高2,200億円(2019年3月期比25%増)という中期経営計画の達成は難しくなるだろう。
IT業界から架空取引という「悪癖」を取り除くためには何が必要か。まず不正の温床になっている直送を制限する必要がある。IT企業にとっては直送によって手っ取り早く売上や利益をかさ上げできる。特に営業の歩合が大きい企業の担当者はこうした誘惑に駆られやすい。東芝の調査委員会は2月14日に公表した報告書で、直送の取扱い制限を提言した。東芝デジタルソリューションズグループが落札した取引で、最終顧客がはっきりしており、現物を確認できる場合などを除いて、直送をやめるべきだとした。
属人的な業務運営からの脱却も欠かせない。特定の人物が同じ顧客を長く担当すれば、周囲から内情が見えにくくなり、不正を働きやすい風土が生まれてしまう。実際、東芝ITサービスでネットワン絡みの架空取引を受注していた某部部長は「組織変更は複数回あったが、同じ業務を10年前後担当していた」。結果、この部長以外が取引内容に干渉しにくくなり、これが架空取引の発覚が遅れた要因になった。同じ事業部・地位に長期間とどまっている営業や製造責任者は定期的に異動させるべきだろう。
合計1,000億円超に及ぶ一連の循環取引を巡っては、「悪意ある営業担当者の単独犯行であり、我々は巻き込まれただけだ」として各社がF氏を指弾する。ネットワンの説明会では「御社の循環取引」というアナリストの発言に対し、「F氏が単独でやった循環取引」と各社が強調する場面もあったという。だが、たとえF氏の単独犯行だとしても、4年以上にわたってそれを見抜けなかった各社の企業統治や審査プロセスには問題がある。
企業統治の専門家は次のように指摘する。「ネットワンの調査結果は架空取引案件を簡易表でしか示さず、日鉄ソリューションズは特別調査委員会に社外監査役という身内を入れている。両社とも経営者を擁護する姿勢が透けて見える」。情報開示に乏しい調査結果には、なお多くの疑問が残るといえよう。多重下請け構造や直送、顧客の「秘匿性の高さ」を理由とした曖昧な取引――。IT業界固有の商慣習を悪用した今回の「循環取引」が突き付けた課題は重い。IT業界を挙げた再発防止に向けた取り組みによって関連各企業の経営成熟度を一層高めていくことが必要不可欠と考える。
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