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使命感 第7号

人間、何かをやり遂げようとすれば、それが難しいことであればある程強い「想い」が必要になります。その想いは強ければ強いほど、夢とか目標は実現出来るのだと思います。想いはそれに近づく行動をし続けていれば、やがて「信念」になり、そして「使命感」になるのだと思います。 使命感とは私利私欲や損得から離れ、濁っていた水が無色透明になったような状態に、たとえられるのではないでしょうか・・・ (まだ、私には分かりませんが) 幕末に薩長土肥を中心とした多くの下級武士が日本の将来を憂え、何とかしなければ欧米諸国列強の植民地になってしまうと危惧を抱き、愛国心に燃え、自らの命を投げ出しました。正に使命感そのものの生き方だったと言ってもよいと思います。 最初は、大きな既存勢力に小さな小さな力で立ち向かい、徐々に力を結集し、やがて大きな力となり、既存勢力を覆すまでになったのは正に「意思の力」だと思います。薩摩の西郷隆盛と大久保利通は、近所に住む貧しい下級武士の幼友達であり、西郷が島津久光の逆鱗にふれ、離島に流された際、久光に必死に願い出て西郷を島流しから解放したのは大久保の力でした。しかし、それでも大久保は西洋諸国の訪問から戻ると猛然として西郷と対立します。 結果は歴史の通り、西郷は征韓論に破れ、鹿児島に引き上げます。その後、西南の役が起こる訳です。ここで、大久保が西洋諸国で観たことは、日本にいて考えていた以上に、優れている点が多かったことだと思います。それ故、大久保は頑として誰が何を言おうが、日本の近代化を推し進めたのだと思います。 これこそ「使命感」であり、私利私欲のない純粋な気持ちから湧き起こったことだと思います。西郷も同じく、多くの浪人や新政府へ不満を持つ若い人達への共感や同情から、西南の役で立ち上がったのだと思います。これも「使命感」だったと思います。 長州にも多くの国を憂える人達がいました。吉田松陰とその門下生は皆そうだったと思います。高杉晋作などはその最も急進的な存在ではなかったかと思います。 歴史とは非情なものであり、後代の人達から観れば勝ち残った人達が「正義」となり、負けた人達は「賊」として扱われてしまいます。自分で正しいと信じた道を生き抜いた姿には誰しも大きな感銘すら覚えるものであってもです。 こんな生きざまに、私利私欲を捨てひたむきに生きた純粋な姿が何かあるのだと思います。 時代は変わり、平成不況と言われる今、多くの企業が収益を確保する為にあえいでいます。大手企業と言えども一昔のように安泰ではなくなっています。事業を営む者にとって、時代の変化は重要な経営針路ではありますが、それ以上に人間として不変の基軸が必要なのではないでしょうか・・・ 私はそれが「使命感」ではないだろうかと思います。 究極は「世の為人の為に尽くす、より多くの人に喜んで貰えること」ではないでしょうか・・・ あの松下幸之助氏が「世の中から貧乏をなくそうと」とか「水道哲学」とか「熱海会議での謝罪」とかは、全て自分のところさえ良ければそれでいいといった私利私欲でなかったことも同じだと思います。 私自身はそんなことはまだまだどういうことなのか分かりませんし、そんな考え方すら身についていません。 しかし、私利私欲では経営というものはうまく行かない、限界がある、そんな感じが持っています。 社員に喜んで貰う、お客様に喜んで貰う、世の中に受け入れて貰える、自分も会社も発展し続ける、そんなことが大切なのではないかと思い始めています。 最初は小さな力でも人に訴え、人が共鳴して呉れ、賛同し行動を共にすれば、協力者が増え、小さな力が少しずつ少しずつ大きくなって行くのだと思います。 それを多くの歴史が物語っていると思います。 小さな会社は経営者の仕事は全てと言ってもよい程あります。 営業もやれば、実務もやり、経理もやり、社員教育もやる・・・ それこそ全力投球で働いていると思います。 しかし、最も重要な仕事は自らを正し、己を律し、率先垂範をし、その上で人材を育成する事だと思います。 経営者の器以上に会社は大きくならないということは、このような事も意味しているのではないでしょうか・・・ 経営者が適当にやっていれば、社員も適当な行動をとってしまいます。 私自身、よく他の会社を訪問しますが、その会社に入った瞬間、その会社の状況がある程度分かるものだと思います。誰彼ともなく、明るく、ハキハキと大声で対応して呉れるところ、誰が来たのか自分には関係ないと顔すら上げないところ、面倒臭そうな対応のところ、整理整頓がされておらず散らかっている事務所、実に様々です。 最初の会社は利益も出ていると思います。悪いところがあれば直ぐに修正すると思います。 だから、利益もキチンと出ると思います。難しい事ばかり言って、目の前の簡単なことが出来ない会社で大きく伸びた会社はないと思います。 目の前の簡単なことが出来てこそ、それよりも難しいことも出来るし、更に不可能と思われるようなことも実現出来るのだと思います。 今の世の中は損とか得だとそんなことが中心になっています。 働くことも「食べる為」とか「家族を養う為」とか言う人が圧倒的に多いと思います。 確かにそれも事実ですが、給与だけが沢山貰えればそれだけで満足出来ることもないと思います。仕事が面白いとか、会社が楽しいとか、そんなことも一面では真理だと思います。 しかし、それ以上に仕事には「何か」があるのではないでしょうか?・・・ 人生の多くを仕事で過ごす訳ですから、仕事は重要な人間形成に関係するものだと思います。 仕事を通じて自分自身を高め、志を持ち、その志を実現する為に仕事は存在するのではないでしょうか・・・仕事は人を伸ばして呉れる材料ではないでしょうか・・・ 今の世の中、夢や目標がない人達が多いと思います。特に、折角の人生を最も大切な時期に無駄使いし、その重要性に気付いていない若者が多いと思います。 私自身、もう50歳を過ぎ、時間というものが若い時に比べ「何か違うな」と感じています。 若い時の一年とこの年齢での一年は物理的に同じ一年でも精神的に異なることを実感するのです。 つまり、若い時の一年は体力も自分の持つ能力もどんどん伸びていますが、これらの盛りを過ぎてしまうと同じ一年が若い時の二年、いや三年に感じられるのです。 「急がなければ・・・」という思いが強くなるのです。若い時にはそんなことを思ったりすることもありません。 年を経て、そんな思いが強くなるのです。老いたということでしょうか?・・・(そうは思いたくないのですが) こんなことで、時間に対する思いが違うのだと思います。 話が少し脇道に逸れましたが、私自身が「使命感」を本当に心から感じられるようになるには、まだまだ苦労が必要だと思います。今は、私利私欲を少しでも超えようと自分で格闘しているようなものです。 分かっていても実現出来ない・・・ まだまだ煩悩の塊です。 創業して二年目ですが、後ろを観るのではなく前を向いて進んで行きたいと思います。 前とは、今日であり、明日であり、今という瞬間です。 企業には人しかいません。人がものを作るし、人がお金も情報も作り、運んで来て呉れます。 その人達が方向性や目標を持っていなければ、それは只の烏合の衆に過ぎないのではないでしょうか? 以前、お世話になった方がよく言っていました。「人生は感動の歴史で綴れ」と。 正に、使命感とは感動そのものだと思うのです。 何の為に起業したのか、何の為に生きているのか、何が目標なのか、幸せとは、喜びとは、こんなことに全て通じるものではないでしょうか?・・・ だから、それが分かるようになりたいし、必死で頑張りたいと思っています。 人間の寿命はたかが80年です。 自然界の中では永い方かも知れませんが、それでも幾多の経験をすることは間違いありません。 生まれながらに異なっているという人間よりも、同じような条件で生まれ、育ち、そして死んで行きます。 しかし、中には素晴らしい成果を残して人生を全うする人達もいます。 何が違うのか、どうしてそうなったのか、私は一生かかっても分からないかも知れません。 天運に見捨てられない限り、私は目指して行きたいと思います。 人生は二度とありません。命も二つとありません。 だから、一生懸命に生きたいとこの瞬間も願っています。

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