先日、一冊の単行本を買いました。 その本は「稲盛和夫のガキの自叙伝」(日本経済新聞社刊)です。 以前、日本経済新聞の朝刊に一月間連載された「私の履歴書」で紙面の都合等で書けなかった話などを加え、 少しでも多くの人に読んで貰おうと単行本にされたそうです。
この本は読み始めた程度なのですが、稲盛さん(これ以降、恐れ多いですが郷土の大先輩に敬愛の情を込めてこう書かせて頂きます)が私と同じ郷里で、お母さんの名前まで同じという奇遇の上、その上、稲盛さんが敬愛する西郷隆盛への敬幕の念もあり、稲盛さんの自伝を読んでいて故郷の懐かしさがあちこちに蘇って来るのです。 世代は随分違うのですが、独自の土地柄や精神気質が直ぐに思い出されます。
鹿児島という所は古くから洗練されたような文化や土地柄や産物が無い日本の端なのですが、何故か、人間の持つ気風だけは独自のものが継承されていると思います。 古くは曽我兄弟の仇討ち、関が原の戦いでの正面退却、幕末の寺田屋事件、生麦事件から薩英戦争のその後まで、 剣術流派の示現流など、こうと決められたらそれ以外は考えない一点突破的な精神がその典型ではないかと思います。 あれこれ考え、あれこれやってみるのではなく、一つのことを決めたら途方もない程のエネルギーを集中して立ち向かう精神文化が尊ばれているように思います。 ですから、小さな頃から「やっせんぼ」(勇気がない弱虫のこと)という嫌われる言葉を何かあると周りが使っていたのを思い出します。
稲盛さんの自叙伝には多くの「師」、「支援者」、「肉親」、「仲間」が出現します。 その人達がいなかったら京セラもKDDIもなかったと書いてありました。 実に多くの人々に支えられて来た方なのだと思いました。 一心不乱に努力されている稲盛さんの姿を観て周りに大きな感動を与える方なのだと思います。 本の中に小学校時代の恩師の話が出てきます。 今と違い、その時代の先生の発言や存在は絶対なものでした。 先生に怒られただけでどこの家でも無条件にビンタものでした。 先生が絶対でした・・・ それほど先生は世の中や父母から尊敬されていました。
私にも生涯忘れられない恩師との思い出があります。 小学校1,2年の担任だった「津田先生」のことです。 1年の時、教室に知的障害がある学友がいました。 ある日授業中に、お漏らしかウンチか何かをした時のことです。
周りの皆は臭いやら汚いやらで授業どころではなくなり、蔑視にしたような言葉を大声で言い放っていました。 津田先生はその子の後始末をした後、教壇に立って泣きながらこんな内容の話をされました。 「人は皆、平等に生まれて来たのです。友達というのはお互いに助け合うものであり、悪さをしたりいじめたりすることではありません。私は残念でなりません。どうか皆さん、このことを忘れないで下さい。」・・・
私達は内容よりも大好きな先生が涙を流しながら話されていることが大変なショックで、同じ様に大声で泣いていました・・・ 何か大変悪いことをした、先生に本当に申し訳ないことをした、どうしたら良いだろう・・・ 今にして思えば、そんなことだったのですが、私にはそのことが土地柄もあり、一生忘れられない出来事になりました。 強いものが弱いものをいじめてはならないという戒めです。 この出来事は鮮烈に覚えています。もう50年近く前の出来事なのですが・・・
後年、島崎藤村の破戒を初めて読んだ時、主人公の先生が自分の出身を先生の前で涙を流しながら謝罪する場面があります。 私はこの時、小学校1年の教室であった場面を強烈に思い出し、ハラハラと涙を流したことがありました。 今はもう津田先生はご存命ではないでしょうが機会があれば会いたかったと惜しまれます。
この一件は郷里でよく言われた「弱いものいじめをするな!」ということと同義なのです。 弱きものを助け、強きものに立ち向かう、それも郷里の精神文化の一つなのです。 大先輩である稲盛氏の生き方にも確かにそれはあると感じます。 小学校の校歌を憶えているのもこの為なのでしょうか?・・・ また、小学校の後輩に長渕剛がいるのも何か土地柄を感じる次第です。
チェストー!(分る人は郷里の関係者です)
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